当クラブ代表の干場です。
「学校に行けていない」という理由だけで、入部を断られたり、監督やコーチから問題視されて練習に参加させてもらえなかったり、試合への出場を認めてもらえなかったり——そんな話を耳にすることがあります。
私が中学硬式野球クラブチームの監督をしていた頃にも、同じような場面に出くわしました。
多くの場合、本人や家族が問題にしているのではありません。
周囲の保護者会や、チーム役員などが声を上げるのです。
「ちゃんと真面目に学校へ行っている子に示しがつかない」
「野球だけしていればいいというふうにならないか?」
こうした意見は、「違う角度から物事を見る視点」が欠けていると、私は感じます。
子どもたち自身も「本来は学校へ行くべきだ」ということは十分わかっています。
それでも行けない「理由」が、本人にしか分からないかたちで存在しているのです。
そこに目を向けようとしない姿勢こそ、私たち大人が見直すべき点ではないでしょうか。
非常に多いです。このような凝り固まった思考の少年野球指導者は…。
少年野球の指導者こそ、この視点を持つことが大切だと、私は思います。
もちろん、国として「親には子どもに教育を受けさせる義務」があります。
しかし、「行きたがらない子を無理やり学校へ行かせてよい」と定めた法律もありません。
2016年に制定された教育機会確保法も、学校復帰だけを前提とせず、「学校以外の場でも学ぶ機会を確保していこう」という考え方に立っています。
学校に行けるのであれば、それが一番良いでしょう。
私も「学校なんて行かなくていい」と言っているわけではありません。
ただ、「行けない」という背景には、何らかの“生きづらさ”があるのではないかと考え、周囲の大人がそれに思いを寄せることが大切だと伝えたいのです。
そんな子に無理やり学校行かせたり、野球を取り上げたところで、いい方向に向くとはとても思えないと考えるのが普通ではないでしょうか。
私はかつて、教え子を自死で失いました。
私の手から離れ、卒団後の出来事ではありますが、高校卒業まであと2か月ほどという時期でした。
卒団後、その子から二度ほど電話をもらっています。
「頑張るので、また機会があれば投げるところを見てください」
今思えば、それはただの挨拶ではなかったのかもしれません。
本当は、もっと深くて重い悩みを打ち明けたかったのではないか——。
そう考えると、今もなお、私の中には大きな後悔が残っています。
学校に行けない程度のことで、その子から「野球」を奪う権利など、誰にもありません。
それは、その子の「居場所」を奪うことと同じです。
極端な言い方かもしれませんが、「死ね」と言っているのと変わらないように私は思います。
学校に行けないことは、決して“悪いこと”ではありません。
学校に通っていなくても、いくらでも学ぶ場はあるし、自分次第で進路はどうにでもなります。
(内申点が不要な高校だってありますし、そうした学校から甲子園出たり、東大へ進む生徒もいる時代です)
野球を通じて、少しずつ社会への一歩を踏み出せるように。
当クラブは、そのための協力を惜しまず続けていきたいと考えています。